人気ブログランキング | 話題のタグを見る

気になる色々情報発信&備忘録な日記です。

by mintlemon

月下の彦士

中国の春秋戦国時代、今からおよそ2500年程昔のお話しです。晋(しん)という国がありました。その国の君主 文公(ぶんこう)は覇者の一人です。有能な家臣にも恵まれました。介子推(かいしすい)、士会(しかい)等々、彼ら自身が主人公になる著作もある程です。

 今回のお話は、文公と共に長い旅を過ごした趙衰(ちょうし)の孫、趙朔(ちょうさく)の頃のお話しです。彼の父、趙盾(ちょうとん)は時の君主霊公に疎まれ、国の宰相としても特に非凡でもなくむしろ右肩下がり気味な成果しか上げられなかった少々残念な政治家でした。

 しかし、国を思う気持ちに嘘は無かった様です。疎まれた君主が謀殺された時もその挙動に疑問が残る行動をとってしまったために、どうにも後々の評価に陰を落としてしまいます。 

そんな父の葬儀に慟哭している男に目を留めた趙朔に程嬰(ていえい)は無視するようにと促す様な態度を示します。彼は趙朔の友人で身内同様に昵懇にしていた仲で、彼の父の葬儀にも参加していました。 

程嬰はその慟哭していた男を、胡散臭いヤカラだと感じたからなのです。お坊ちゃま育ちの趙朔が騙されはしないかと諌言したわけです。しかし趙朔は彼を葬儀の後、客人としてもてなすわけです。その男の名は公孫杵臼(こうそんしょきゅう)。

名前からしてなお、胡散臭い奴だなと、程嬰は一層猜疑の目を向けるのです。程嬰は公孫杵臼に対し、あしざまにののしるに等しい、罵声にも似た言を吐いたりしますが、公孫杵臼はそんな趙朔の親友に牙を向ける様な態度は示さず、のらりくらりとかわすのです。

そんなある日、晋のライバル楚(そ)が鄭(てい)を襲います。鄭という国は周王朝にとって一つのキーになる国家で、小さな国ではありますがこの時期、晋と楚の間の覇権争いの折に、時には晋に付きある時は楚に付くと言った、強国に挟まれて右往左往させられるはかない国であったのです。

 鄭を蹂躙されることは、中華の顔に瑕が付くことになるわけです。すなわち楚は南蛮の国家で中華圏ではまだ、野蛮な国としてワンランク下の国という見方をされていました。

この晋と楚の戦いは、邲(ひつ)の戦いと呼ばれ晋は大敗を喫します。この折に趙朔は大怪我を負い、程嬰も負傷します。晋は覇権を楚に奪われ、国威も失われる事になるのです。

帰国後、趙朔の具合は良くなるどころか益々弱っていく状況でした。程嬰は見舞いに訪れる度に公孫杵臼に彼の状況を伺うという事が多くなるわけです。

この戦い以後、程嬰は公孫杵臼に対する評価に変化が現れる様になります。食いッパぐれた詐欺師様な彼に対する印象が薄れて来て、信頼のおける言動を感じる様になってきたわけです。

一方、この戦いで疲弊した晋の廷内では不穏な空気が流れ始めます。その首謀者は屠岸賈(とがんか)。

彼が今でいう警察長官の立場に就き、趙遁が疎まれた君主霊公の暗殺した主犯が、趙朔の家系だと吹聴するワケです。 

これはトンだ濡れ衣で、ソコには現晋公の暗躍があったのです。すなわち、今回の戦さで信賞必罰を晋公の力で示すことが出来ず、晋公自身の権威が弱まり有力家臣団の励起で晋という国体を君主の存念で遂行する事が出来なくなってきたという晋公の焦りがそうさせたわけです。

かつて文公が出奔した折、ソレに追従した趙衰は本家筋ではなく分家筋で、文公が君主になった時点で、趙家の本家と分家の立場が逆転して本家は分家を仰ぎ見る立場に立たされました。

そんな経緯があってか本家筋は濡れ衣を着せられた趙朔に対して何の行動も取らず静観している有様。父の趙盾は息子に引き継がせる領地を削ってまで本家筋に相続させたにも関わらず・・・。 

折悪しく、趙朔は戦いで瀕死の重傷を負い余命いくばくもない状態。屠岸賈の毒牙は趙朔邸に迫って来ます。果たして趙朔の屋敷では老若男女問わず殺戮されるのですが、公孫杵臼は他の家の兵に助けられ、屠岸賈の毒牙から逃れる事ができたのです。しかし、その場には程嬰が居なかったのです。

趙朔家は滅ぼされる形になりました。そんな一件があった後日、公孫杵臼は市井で程嬰の姿を見かけるのです。そしてなじる様に彼に問うわけです。趙朔の臨終に際して何故居られなかったのか?・・・と。

程嬰は応えます。趙朔の子を匿っていると・・・。産まれて間もない赤ん坊を匿っていたのです。二人は考えます。このままだと何れ屠岸賈の耳に入る。何とかして趙朔の子を守り育てないといけない。・・・・と。

そこで二人は一計を案じるワケです。この窮地を凌ぐ事に一命を賭す者と趙家の再興を見届ける者を・・・。 

そのミッションは開始されました。先ず程嬰が趙朔家の隠し子を公孫杵臼が匿っていると屠岸賈に教える代わりに賄賂を要求したのです。没落した家に恩も義理もないとまで吐き捨てる様な芝居を打つわけです。

これには、趙朔家に誼を感じていた人々も騙されて、程嬰に対し不快の念を抱かずには居られません。

公孫杵臼は屠岸賈に捉えられ無残にも殺戮され、彼の抱いていた赤子も手に掛けられてしまうのです。 

公孫杵臼と赤子の命を犠牲にして程嬰はその後、成人するまで趙朔の子を立派に育て上げます。その子の名は趙武(ちょうぶ)。後の、晋の宰相になる人です。 

彼は立派に成長した趙武に別れを告げます。あの世で私の報告を待っている男に今、報告しないと失敗したのかと心配しているに違いないので・・・。私は彼の元へ報告しに行かねばならないと・・・。今まで自分を匿い育て上げてくれた程嬰に孝行する間も無いのかと涙を流す趙武に別れを告げ、彼は自ら命を絶つのです。 

彼の国には紀元前から、人々の心のひだや政治、易姓革命の血塗られた一面や生死をかけた凄まじいまでの生涯を記した記録が数多く残されています。 

縄文時代を持つこの国では、国家が成立するまでに長い月日を要しました。勿論、戦国時代も経験しました。しかしながら、長く平和な時代が続いたとも言われています。ただ、易姓革命が無かったのは幸いしたのかしなかったのか? 

世の中のスタンダードは、あまりにも苛烈で凄まじい一面をかの地以外でも史実として残している様です。日ノ本の国として付近の国々と繋がりを持ったこの国の起こりは、弥生人が稲作を輸入してからの事だという事です。それまで縄文時代は1万年以上の歴史があったと・・・・。

 孟夏の太陽 (文春文庫) -
孟夏の太陽 (文春文庫) -
by mintlemonlime | 2016-11-05 08:18 | 歴史